闇と謎に憧れる 写楽と言う生き方

5月8日、NHKで放送していた写楽のSPを、たまたま見ました。
その後、BSプレミアムの特集も見て、写楽熱再燃?
ノストラダムスとファティマ、太宰治、東洲斎写楽。
10代で必ず通る道でしょ?
相方に言ったら「今の時代はそうでもない」と一蹴されちゃいました。
確かに2000年問題は10年以上前のことだけど…
日本人は謎と闇が好きだよね~と言うことで、写楽について語ろうかな。

ノストラダムスの大予言とファティマの謎。
世紀末の預言書とされてい二つですが、世界は滅亡する事はありませんでした。解釈したのは現代人だしね。
でも。高校時代、大学時代は、世紀末について嫌と言うほど本を読んだり
夢中になって話をしたりしました。
ファティマの謎に魅せられて、おとなになってからポルトガルにも行きました。

世紀末の年に放送された、堂本剛くん主演『to Heart~恋して死にたい』
深田恭子ちゃん演じる透子が、純粋に時枝ユウジに片思いするお話でした。
恋して死にたい。この世が滅びる前に…
世紀末ならではのピュアなドラマだったと思います。
時枝ユウジから、堂本剛くんファンになった方も多かったと聞きます。

てるひは、主題歌の『to Heart』が大好き。
剛くんの話をし始めたら、どこまでも脱線しそうなので、それはまたいつか?

世紀末はひょこんと乗り越えたけど、今の学生さんたち、太宰も通らないの?
退廃的と言うか破滅的というのか、そういうのに憧れないんだろうか。。。

2009年、太宰生誕100周年を記念した、生田斗真くん主演の映画「人間失格」
そのプロモーションのひとつ(?)として、生田くんが文庫の表紙を飾ったり。
太宰を読むひとが増えたりはしなかったのかなぁ

10代のてるひが熱中したもの(人?)の最後のひとつ、東洲斎写楽の謎。
たった10ヵ月と言う短い制作期間と、明かされなかった本名…
そして、なによりも他の役者絵には見られない大胆なタッチ。
当時の売れっ子絵師は、役者の全身図を美しく描いた。
役者側の希望でもあり、役者絵を求める側の夢でもあったのかな。

彗星のごとく登場した写楽が描いた大首絵は、表情も豊かで
どの芝居のなんの場面かもはっきりわかる、瞬間が切り取られたものでした。

浮世絵、特に役者絵は、今で言うブロマイド?生写真の役割のものだったので
量産を余儀なくされていました。

NHKさんは、いろいろなシリーズで、これでもか…と写楽の謎を追いました。
特に多く取り上げられていたのは、写楽とは誰なのか…でしたね。
てるひがハマった頃から、いろいろな説がありました。
有名絵師説。版元の蔦屋説。能役者説など。。。

今回の誰なのか…では、ギリシャで発見された扇に書かれた肉筆画から
いくつかの説をつぶしていく手法でした。
写楽のものとされる肉筆がの線描が、繊細ではあるが巧みとは言えない事から
葛飾北斎、喜田川歌麿のタッチと比べて、有名絵師説をたたきました。

三重の美術館所蔵の「写楽画」と伝えられている肉筆画を比較して
同一の絵師であると断定。
三重の肉筆画も写楽の手によるものだとした上で、
一緒に描かれている役者絵から、制作年をつきとめてしまう…という。
その制作年には、1代目蔦屋当主は没していた事から、蔦屋説をつぶしました。

残る能役者説は、海外に流出した文献から、その名前も特定されていました。
能の世界では、端役しかもらえない家の斎藤十郎兵衛と言う役者だそうですが
研究家たち多くは、ほぼ彼に断定してしまっているようですね。

そして。不勉強で知らなかった、外国人説やプロジェクト説まであるんだね~
外国人、つまりオランダ人だから、今までの役者絵を無視しした作風だった?
10ヵ月と言う短い期間に、ひとりではあんなに書けなかっただろうし
この10ヵ月と言う間に、作風ががらりと変わっている事からも、
複数の絵師がいたのではないか…などなど。

日本人って、謎が好きですよね~
解き明かしたくなる。
番組の持っていき方からも、斎藤十郎兵衛説が正しいのかな?
「これだ!」という説を持たないわたしは、NHKさんにまんまと先導された感じ?

写楽の作品はその画風の違いから、1期から4期に分けられるそうですが
10ヵ月という短い期間の活動なのに…と不思議に思わなくもありません。

第1期の大首絵。女形も男に見えてしまう、ぎょろりとむかれた目など
所謂、わたしたち一般人が「写楽作品」として思い浮かべる役者絵は
ヨーロッパでの評価は高いそうですね。
でも。悲しいことに、役者絵はその芸術性うんぬんよりも、
売れること、役者にもお客にも喜ばれるものでなくてはなりませんでした。
ゆえに、自分を殺し、画風を変えていく。

役者からも民衆からも受け入れられなかった第1期が
芸術としては評価されたと言うのも、おもしろい気がします。

描きたいように描けない。
大量にさばかなければならない。
疲れていたでしょうね。

しかも。能役者は武士の身分であったため、本名も明かせない。
でも。絵師ですから、自己顕示欲はある。
斉藤十郎兵衛の名をもじって、東洲斎と言う姓を作り出した?
…と推論する研究者もいました。

写楽が誰であったとしても・・・
絵を描くことがいくら好きであっても、
自分が書きたかった絵を描かせてもらえず、酷使され、ぼろぼろになって
10ヵ月と言う短い期間で筆を折った気持ちもわかる気がします。

でも。絵を描く事は続けていて、
乞われれば、扇子などに描いてあげたりもしていた。。。
その絵は、へたうまと言ってしまうと怒られそうですが
決して、上手ではなかったと言うのもおもしろいですよね。

熟練彫士の手にかかれば、絵師の巧みとは言えない線は消される。。。
版画じゃなかったら、東洲斎写楽は存在しえなかったかもしれませんよね。

NHKさんが、これだけ写楽を推すにはなにかあるんだろう・・・と検索すると
今、上野で展覧会が開かれているんですね。
久しぶりに、写楽にふれてみたいな。
会期は6月初旬まで…と、ヲタ活動と協会の行事で忙しいけど、行ってみたいな。

もう少しネットをふらふらしていたら、なんとわが町で(笑)
ボストン美術館の浮世絵名品展をやってる?
こちらも6月初旬までですが、時間を作って、見に行こうと思います。

写楽を追うひとたちは、写楽の絵が好きなんだろうか
写楽の謎に満ちた生に興味があるのだろうか…
おもしろいですよね。

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