どこから来て、どこへ行くのか…『ふたりのイーダ』松谷みよ子

人はどこから来て、どこへ行くのか…
モノにも魂は宿るのか…
毎年、8月がくるたびに読み直したくなる本が何冊かあります。
8月6日は、広島 原爆の日です。
原爆の日当日は、被爆ピアノの絵本を読み直しました。その感想は、
祈りの音色、永遠に 絵本『ヒロシマのピアノ に書きましたので、
今回は、松谷みよ子作『ふたりのイーダ』の感想を、書く事にします。

『ふたりのイーダ』は、何度となく読み返している本です。
ふたりのイーダ。イーダはふたり。
主人公の直樹は、小学4年生。ふたりのイーダのうちの本名「ゆう子」のお兄ちゃんです。イーダは、もうすぐ3歳。
ヘンな顔して、すぐ「イーだ」って言うから、イーダちゃん。
直樹とゆう子のお母さんは、ライターなのかな?
取材で九州へ行く為に、子どもたちを実家の広島にあずけて行きます。

花浦。お堀のある旧城下町を歩いていると、
直樹は、歩く椅子と出会います。
小さな小さな椅子。ゆう子が座ったら丁度よいくらいの小さな椅子は
「イナイ、イナイ…ドコニモイナイ」
つぶやきながら、歩いていきます。
人はだあれも…直樹しかいなくて。

とろりとした暑さ。空気がゼリーになってるんだ…この表現がすごく好き。
ゼリーになった空気の中を、直樹は、椅子を追いかけます。
歩く椅子を追いかけて行くと、荒れ果てた、素朴な家の前に出ました。
枯れたひまわり。台座から転げ落ちた小便小僧の像…
時からも置き去りにされたような家。
直樹は、怖くなって、そこから逃げ出すのです。

次の日。妹のゆう子が、ひとりでいなくなってしまいます。
ゆう子は、あの荒れ果てた不思議な家にいました。
しかも。あの歩く椅子に乗って、はしゃいで
「イーダちゃんのお家、ここだもん」と言うんですよね。
イーダ=ゆう子は、直樹の妹なのに…

その次の日。直樹がひとりで、不思議な家に行くと、
歩く椅子が、直樹を待ちかまえていました。
「チイサナイーダガモドッテキテウレシイノダヨ」
椅子は、キノウも、そのマタキノウも、イーダを待っていた…と言います。

椅子が、うちのコだと言うイーダちゃんは、おじいさんと二人暮らしでした。
お母さんは、死んだと言います。
椅子が待っていたのは、ゆう子じゃないはずなのに、
ゆう子は「ただいま!」と言って、またこの家に来るし
毛布やクレヨンも出してきて、勝手に使ったりしています。
どうして?

あの不思議な家にはテレビもないし、どこかおかしい…
小さなゆう子にとっても、過去はみんな昨日。椅子も同じ?
椅子が言っているキノウっていつのことだろう?
おじいさんと二人で住んでいたイーダがいなくなった「昨日」がいつなのか
それから、その女の子が誰なのかつきとめよう…直樹は思うのでした。

でも?小さかったイーダは、もう大きくなってるはず
それでも、椅子の言っている昨日がいつなのか…
直樹はつきとめようと思うのでした。

おばあちゃんの知り合いのお姉さん、りつ子さんとの出会い。
直樹にとっては、学校も仕事にも行っていないおとなは、めずらしい存在でした。
りつ子さんと行った資料館で、歩く椅子によく似た椅子を見つけます。
おとなの協力者を得た事で、少しずつ、謎も解けていく…

日めくりカレンダーの6と言う数字。
この家で暮らしていたおじいさんとイーダちゃんが、出て行ったまま
戻ってこなくなった昨日は、何年何月かわからないけど、6日のようです。
日めくりにもうひとつ書かれた「2605」の文字。

この本が書かれたのは、1970年代です。
2605年は、このレビューを書いている2010年の約600年後の未来…
この数字の謎も、りつ子さんがといてくれます。
太平洋戦争中、日本は西暦を使っていなかったそうで
紀元2605年は、西暦の1945年、昭和20年。終戦の年ですよね。
6日も、残された日めくりから、8月の事だとわかります。

8月6日。広島 原爆の日です。
小さかったイーダちゃんとおじいさんは、その日の朝、家を出て
そのまま帰ってこなかった…と言うことになります。
その事がわかったのは、8月6日でした。

りつ子に連れられて、広島の原爆ドームや原爆の子の像を見た直樹。
資料館もいつか見てほしい…そう言われます。 
作者から、読者へのメッセージでもあったでしょう。
わたしも、大学時代と、社会人になってからの2度、広島に行きました。
長崎へも…

原爆で、椅子が待っているイーダちゃんは、死んだのでは?
その生まれ変わりが、ゆう子なのでは?…と思うようになるのですが…

お母さんの仕事が終わり、東京に帰る日がやってきます。
直樹は、あの椅子に、ゆう子は、椅子が待つイーダちゃんではない事を
伝えようとします。
「おじいさんと、イーダは、原爆に会って死んだらしいんだ…」
そう告げた時に、椅子は、ゆう子を見て
「ソンナコトハナイ。イーダハソコニイルジャナイカ…」と言うんですよね。
どこかで聞いた事ある台詞ですが、
ゆう子=イーダだと思い込んでいる椅子の気持ち、わかりますよね。

イーダのしるし。背中にならんだ3つのほくろ…
ゆう子には、もちろん、そんなほくろはなくて。。。
絶望した椅子は、壊れてしまうのです。

りつ子には会えないまま、東京に帰る事になる直樹たち。
おばあさんに、りつ子への手紙をたくします。
しばらくして。りつ子からの返事が届き、一気に、物語は終わります。
鮮やかと言えば鮮やかですが、物語を動かさないからこその、
ずるいと言えばずるい終わらせ方だった気もします。

直樹と一緒に、すっかり騙されましたしね(笑)
何度か読んでいたのに…

3歳になる前のゆう子と椅子にとって、過去がみんな昨日で
小学4年の直樹にとっては、おとなの年齢なんてわからなくて
結末を知ってるはずのわたしも、騙される。

この本が出版されたのは、1976年です。
今では見る事ができなくなってしまった風景も、そこにはあるかもしれません。
でも。8月6日と言う日を忘れないためにも、
現代の小中学生にも読んでほしい。

この本は、原爆の悲惨さ、戦争の愚かさ、悲しさを伝えるとともに
松谷氏の永遠のテーマ、人はどこから来て、どこへ行くのか…も
語られています。
どこへ行くのか…その答えは、この本にも、どこにもないのかもしれませんが
考える事に意味があるのでしょう。

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