回り道をしているだけ…映画『山桜』

回り道。人生の回り道、寄り道は、必ず自分の力にできる。
恩師が、よく言ってたっけ。。。
彼自身、書く事に関わる仕事をしていたものの…作家デビューは、30代でした。
幸せの回り道。
この映画のキャッチフレーズを聞き、田中麗奈さんの眼差しに心惹かれました。
回り道は、無駄でも徒労でもなく、輝く為の経験だから、今の道を進むだけ…
映画『山桜』を見て、改めて思ったので、感想を書いておきます。
ネタバレを含みますが、良かったら、ぜひどうぞ。

山桜。美しくある為に作られたソメイヨシノとは違う、素朴な美しさ。
おばの墓参りの帰り道。山桜に心ひかれた野江(田中さん)は、一枝、手折ろうとします。でも、枝に手が届きません。
そこへ。武士が通りかかり、手折ってくれるのです。
東山さん演じる手塚弥一郎でした。
野江は、1度めの結婚で夫に先立たれ、2度めの結婚をしました。
でも、2度めの嫁ぎ先では、姑には出戻りと蔑まれ、下女のようにこき使われ、
生家との習慣や生活とのあまりの違いに、疲れ果てていました。

弥一郎は、夫に先立たれた野江に縁談を申し込んだ事があったのです。
でも。母ひとり子ひとりのお家だったので、野江は会うこともなく断ったのでした。

立ち去ろうとする弥一郎は、足を止め、振り返り、野江に問いかけます。
「今は、お幸せでござろうな」
野江は、はじめて会った弥一郎のやさしく、涼やかなまなざしに、ただ
「はい」と偽りの答えをするのでした。

その日。弟から弥一郎の人柄や、彼が道場から、野江のことを見ていた話も
聞かされます。
野江は、会ったこともなかった自分のことを、遠くから気遣ってくれている人の
存在を知り、胸があたたかくなるのでした。
野江の弟役の北条くん!きりっとして、素敵でしたね。
仮面ライダーレンゲルだった頃は、現役高校生だったよね?

山桜の舞台となった庄内(山形県酒田市)は、四季が美しい場所。
東北の悲しさでもありますが、数年前の凶作で、田を手放す農民たちが増え
民は疲れきっていました。
食べるものがないということ。悲しく、情けないことですが、わたしには
見たり聞いたりするだけで、実感がありません。その事も悲しかった。

庄内では、農民が手放した田を買い叩き、荒地を開墾して
富めるものは富み、貧しい者は、ますます追いつめられていきました。
弥一郎が、田を見回り(?)にいくシーンがあります。
昼食に握り飯を食べている彼を、じっと見つめる少女がいました。
彼は、握り飯をさしだします。
食べるものがなくて、にごってるだけの粥ばかり食べていた少女にとって
白いご飯は、ほんとうにご馳走だったんだろうね。

庄内藩の実力者、諏訪は、豪農と組んで、私腹をこやしていました。
疲弊した農民たちから、さらに年貢を取り立てようとさえする。
農民たちと藩の行く末を案じた心ある者が、江戸詰めの藩主の元に
密書を送ろうとしますが、諏訪の手の者に気づかれ、阻止されてしまいます。
その年もまた、雨が続き…米が育ちませんでした。
弥一郎が出合った少女の父の田も不作で、年貢が納められず
田を取り上げられてしまうのです。
家に帰った彼を待ち受けていたのは…
なんかね・・・書きながら、泣いてる自分(笑)

再び、田を訪れた弥一郎が目にしたのは、ふたつの墓の前で出を合わせる農夫でした。二つの墓標に刻まれた名前。小さな墓標は、あの少女のものでしょう。
あの少女は、もういない。弥一郎は、その事を悟るのです。
ふたりは言葉を交わさないのですが、目と目で、話すんだよね。
東山さんの目の演技に、泣いてしまいました。

この映画は、ほんとうにセリフが少ないのです。
原作は20頁の短編だったそうですが、セリフではなく、俳優さんが作る空気が
胸にいろいろなことを、訴えかけてくるのです。
弥一郎のセリフも、あの野江に問いかけた一言以外は、ほとんどなくて。
諏訪の横暴を議論している間も、ただ黙して、聞いているだけでしたし。

そんな弥一郎が、城内で、諏訪を斬るのです。
東山さんの殺陣にしびれました。泣きながら斬る(泣いてないですが、彼は)
取り巻き連中には傷をつけず、諏訪だけを斬り、歩いて目付に出頭した。
そんな弥一郎のことを、野江は夫から聞かされます。
夫は、取り入ろうとしていた諏訪の急死に、怒り狂い、弥一郎を侮辱します。
その夫の見ぐるさに、思わず…手にしていた羽織を投げ捨ててしまい
離縁を申し渡されるのでした。

家に帰った野江は、弟や妹のためにも自立したいと母に言いますが
「ここを出て行くのは、幸せになる時だ」と諭されます。
田中さん、時代劇ははじめてだそうですが(そうですよね?)
背筋がぴんと伸びていて、まなざしもすっと美しくて、素敵でした。
幸せになりたくない人は、たぶんいない…

即刻、切腹を申し渡されると思われた弥一郎ですが、
その沙汰は、なかなか下りませんでした。
己を省みずに、藩と民の事を思って、刀を振るった弥一郎を
切腹させてしまっては、民も黙っていないだろうからと、擁護する声も多く、
藩主のお国入りを待つことになったようです。

弥一郎の身を案じ、お百度を踏む野江。雨の中…
あのたった1度の出会い。ほんの短い会話を交わしただけの彼のために。
弥一郎が、野江を見ていたという道場に行ってみたり、
母だけが留守を守っている弥一郎の家にも行ってみても、問うことはできない。
そんなの野江の姿が、なんとも可憐と言うか…

春が巡って、あの山桜も、また美しく咲きました。
野江は、枝を手折ろうとしますが、やはり届きません。
そこに通りかかった農夫に、手折ってもらうのですが、彼は、あの…
田を取り上げられた農民(ごさくさん?)だった気がしますが、思い過ごしかな。

桜を手に、弥一郎の家を訪ねる野江。
息子の事件があってからは、訪ねてくれる人もなく、さみしい思いをしていた母に
「いらっしゃるのを待っていましたよ」と言われます。
忘れちゃったけど、そんなニュアンスのことを言うんですよね。
いつも。弥一郎から、野江のことを聞いていた。
2度めの嫁ぎ先に、ひどく腹をたてていた…とか。

獄中にいる弥一郎も、満開の山桜を見ます。
今となっては、弥一郎が見た桜が現実のものだったのか、彼の心象風景だったか
思い出せません。白い桜。野江を連想させる桜が、弥一郎の真っ暗ではない
未来を暗示しているように思えてなりませんでした。

それから。野江は、何度何度も、弥一郎の家を訪ね、
弥一郎の母から、料理などを教わったりするのです。
そう…まるで、仲のよい姑と嫁のように。
この家こそが、自分が来るべき場所だった。いるべき場所だった。
たくさん回り道をしたけれど、やっとたどり着けた。

弥一郎に、どんな沙汰が下されたかはわかりません。
いくら正義のためとは言え、城中で刀を振るったのですからね。
でも。野江は待ち続けるのでしょう。
1年前、満開の山桜が、ふたりを出会わせた。
まだまだ回り道は続きますが、幸せへと続いていると確信できる道を
野江は歩き始めたんだなぁ…そんなふうに思いました。
たとえ。この先ずっと、弥一郎と会うことができなかったとしても。

美しい話でした。ほんとうにゆったりと1年という時間が流れて
自分の居場所を見つけた野江。
自分を信じて、幸せをあきらめない。居場所を見つけることを放棄しない。
そんな生き方を、わたしたちもしなければいけない。

サイドストーリーである農民たちの窮状と悲しみ。
食べられることは、ありがたいこと。あたりまえになってしまった自分の生活を
見直すきっかけにもできそうです。

奇想天外な仕掛けはもちろんありません。
セリフが少ないけど、背中やまなざしから、いろいろ考える事ができました。
自分の歩いてる道について。幸せについて。人の道について。など。
今の自分に迷ってる人には、おすすめの映画です。
泣いて、心を洗いたいひとも、ぜひどうぞ。

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