観客にならない為に『ジャック・デロシュの日記-隠されたホロコースト』

自分が自分でないような錯覚にとらわれる事ってありませんか。
わたしは、喜怒哀楽、苦痛などの状態が続くと、そんな妄想にとらわれる事があります。
そんな時も、時が経てば、わたしを取り戻せる。
でも。その極限状態を大きく逸脱する空間に長く置かれたとしたら
人は、自分を、自分の心を守るために、無関心でいる道を選ぶかもしれない。
ジャック・デロシュがそうであったように。
無関心の集合体は、ますます人を鬼畜たらしめる。恐ろしいことです。
あの日々を風化させてはいけない。No more war.
『ジャック・デロシュの日記-隠されたホロコースト』
ジャン・モラ 作 横川晶子 訳 岩崎書店 2007

17歳のエマは、拒食症に苦しんでいました。
女性らしい体になる事に嫌悪感を覚え、ダイエットをしたのがきっかけでした。
エマは、おばあちゃんのマムーシュカの事が大好きでした。
マムーシュカが癌に侵されていました。マムーシュカが悪夢にうなされ
口走った、ジャック、エヴァという名前、そして、ソビブルという言葉。
その日から、エマの症状も、マムーシュカの癌の進行にあわせるかのように
どんどん悪化していくのでした。

ソビブル。わたしもはじめて聞く名前でした。
今では、普通の散歩道になっているというその場所は、かつて
ドイツの収容所があった場所でした。強制収容所ではありません。
絶滅収容所。ユダヤの血を根絶やしにする為の場所。

哀しみに打ちひしがれた時、人は、なにかで自分を満たそうとする。
自分に無を詰め込む(食を拒む)事に、無上の喜びを感じるようになったエマは
どんどん痩せ衰えていきました。そして。最愛のマムーシュカが亡くなった時、
虚無を埋めるために口にした食べ物を、体が受けつけず、吐いてしまう。
偶然見つけた、吐くという行為。
拒食の泥沼へますます転がり落ちていくのでした。

葬儀の後。おじいちゃんに、病床でマムーシュカがもらした名前について
聞いてみました。エヴァ、ジャック。そして、ソビブル。
死の間際まで、マムーシュカを苦しめたエヴァもジャックも、この世にはいない。
お願いだから、忘れて欲しい…おじいちゃんに懇願されるのでした。
おじいちゃんも、なにか知ってる?

マムーシュカの遺品を整理していたエマは、古びたノートを見つけます。
ジャック・デロシュの日記。
おばあちゃんがうなされた、そして、おじいちゃんが、忘れて欲しいと言った
ジャックという人物が書いた日記。
その日記に書かれていたことは、隠されたホロコースト。
悪逆非道などという言葉では片付けられない、恐ろしい行為と
人間の心を失った者たちの記録でした。

この本は、エマと一緒に、謎をといていく手法を取っています。
ジャックは、ソビブルの収容所で仕事をしていました。
人の命を奪う事を処理と言う事に、躊躇いも迷いもない男でした。
ジャックの日記を読み進めていくと、若き日のマムーシュカが登場します。
祖父と出会う前のマムーシュカは、自分の残酷さにも気づいていない
ジャックと言う男を愛していた…

ソブビルでは、25万人のユダヤ人が命を落としたと言われています。
電車に詰め込まれて、その場所に連れてこられた人たちは、
その過酷な旅の間に、考える力や、反抗する気力さえなくしていたようでした。
ジャックは、自分たちのこれからについて、疑問を持たない人たちの事を
同じ人間だとは思っていないようでした。
だから。命を奪う事を処理と言い、効率良く行う事に終始し
心を痛めることもなかったのですから。
収容所での日々を、単調…などと、日記に残してさえいるのです。

マムーシュカはポーランド人で、ドイツ兵たちの食事の世話をしていました。
ジャックと愛し合わなければ、彼女も命を落としていたかもしれません。
いや。きっと落としていたでしょう。

ジャックは、数字の管理が主な仕事で、殺人の実行は担っていませんでした。
それで。自分は何もしていない者のように思っている?
同じなのに。
恐ろしいと思いました。戦争と言う異常な状況が、彼を彼らの精神を麻痺させ
殺人を工場での作業のように思い込ませてる…

日記にエヴァの名前が登場します。
エヴァは、息子・シモンとともに、ソブビルに連れてこられたユダヤ人でした。
母から引き離された幼子は、母を求めて、子どもの列から離れたために
母の目の前で射殺されます。
息子の最後という悲惨な光景を見た直後、エヴァも撃たれて絶命するのです。
その殺戮を実行したのが、ジャックでした。
そして。マムーシュカは、その現場を目撃してしまうのです。

「ジャック、ソビブルからどこか遠くへ連れて行って」
マムーシュカの願いは、聞き入れられたわけですよね。
ソビブルを離れ、おじいちゃんと結婚したのですから…
ジャック・デロシュの日記の最後に、マムーシュカの字で、
ジャックの死が書き込まれていました。

エマの受けた衝撃は、これだけではありませんでした。
日記の表紙に隠された写真を見つけてしまったからです。
1枚はエヴァの・・・もう1枚は、ジャックの写真でした。
その後、エマの拒食症は、ますます悪化します。
スーパーのお菓子を万引きしてしまうほどに。

両親でさえ、自分の話をまともには聞いてくれないと思い込んでいたエマ。
そのスーパーの店長は、エマをマドモアゼルとして扱い、
エマの話に耳を傾けてくれたのでした。
そして。ジャックの正体(実は、死んではいなかった)をつきとめたエマは、
ソビブルで行われた事と、行っていた彼を告発しようとするのでした。

ジャックは、日記の中に、エヴァの子どもを撃った時の気持ちも書いています。
喜びも憎しみも、何も感じなかった。自分には何の関係もない場面に立ち会っているような気分だった。ぼくは、自分自身の行動の観客なのだ。驚くほど無関心な…
人は心を守るために無関心な観客となる。無関心が、ますます…悲惨な出来事を助長する事を、私たちは忘れていけないのに。

エマは、ジャックに罪をつきつけ、追いつめて行きます。
その様子は、わたしには、エマも自分の行動の観客になっているように
思われてしかたがありませんでした。
エマは、ジャックの日記を公にしようとしています。
もちろん。二度と戦争を、ソビブルの悲劇を繰り返さないために、
あそこでの事は、公にされるべきです。
でも…彼女のやり方は正しかったのか…わたしには良くわからないのです。

人の心の闇は、ものすごく深く、邪悪なものの住処となる危険性を
常にはらんでいます。
もちろんわたしの心も例外ではありません。
弱い心に鬼を寄せつけないためにも、2度と戦争は繰り返してはいけない。
そのために、真実から目をそらしてはいけないのだと、
この本は教えてくれたような気がします。
出逢えて良かったと思う1冊です。

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