生き抜く為の約束…『聖餐城』皆川博子

ひとは、生きていくための目標を探す。夢を見つけ、夢になろうとする。
自らの尻をたたくために、約束をする。
約束…相手のためではなく、自分を奮い立たせるための。。。
馬の腹の中に入れられ、捨てられたアディと、錬金術で生を受けた?イシュア。
このふたりが生きたのは、1600年代前半、ドイツ30年戦争の時代。
ふたりと、長い旅をした。知らない土地で、血と火薬の臭いを何度もかいだ。
聖餐城 皆川博子 光文社 2007

ドイツ30年戦争の時代。世界史に疎いわたしには、人の名前も、地名も
なかなか頭に入ってはきませんでしたが、アディとイシュア、ふたりの友情と
生き様に引きつけられて、700頁を越す大作を読みきりました。
死んだ馬の腹に、頭だけ出た状態で縫い込まれていたアディは、
軍隊に付いて回って商いをしている、凄腕商人のザーラに拾われます。
それ以来、ザーラにこき使われ、命ぎりぎりの掠奪を繰り返して生きていました。

この物語に出てくる戦闘シーンも、血なまぐさいのですが、
それ以上に、傭兵による農村の掠奪、暴行、焼き討ち、強姦の数々に
胸が苦しくなるのを禁じえませんでした。
給料を保障されない傭兵たちの掠奪行為は、指揮官も黙認するところでした。
食べ物や酒などを奪う事に、100歩譲って、目をつむるとしても
罪無き村人たちをリンチし、死に至らしめる行為を、神様は赦すんだろうか…

極悪非道な人殺し現場を目撃したアディは、衝撃のあまり声を失ってしまいます。
そんな時、掠奪に入った納屋に捕らわれていたイシュアに出逢います。
イシュアを救い出し、プラハの兄の元まで送り届ければ、欲しいものをやる。。。
ユダヤ人のイシュアは、父からの密書を兄に届ける使命を帯びていました。
旅の途中で、イシュアは追っ手につかまります。
アディが代わりに、イシュアの兄のシムションに密書を届けるのでした。

アディは、密書を届けた見返りに、金ではなく、すぐれた中隊長のもとで
傭兵として働くことを望みます。
生涯、仕えることになる、フロリアン ローゼンミュラーとの出会いです。
アディは、忠誠心とまじめさから、銃と馬の扱いにも慣れていた事も手伝って
フロリアンにかわいがられ、めきめきと頭角を現していきます。

一方。捕らえられたイシュアは、光の差し込まない地下牢に幽閉されます。
頼りにしていた兄は、イシュアを見殺しにしました。
父からも、イシュアは錬金術で作り出されたホムンクルスであるので
哀れむ必要はない・・・と言われるのです。
人を作り出す?そんな事ができたかどうか…
イシュアの背中は、生まれつき曲がり、五体不満足でした。
錬金術で作られたものは、小人であるというけれど。

アディは、運命の恋をします。一目見ただけの、憂いを含んだ黒い瞳の少女に。
少女は、軍に従っていた刑吏の娘でした。
当時、刑吏は「名誉なき者」とされ、刑吏や家族、処刑の道具に触れると
自らも「名誉なき者」に落ちるとされていました。
刑吏は世襲制で、他の仕事に就くことも、
刑吏の家族以外との結婚も赦されていませんでした。

会えない、話もできないとなると、恋心は募ります。
でも、アディには、命を救ってくれたフロリアンを裏切って、刑吏の娘と添うことは
できませんでした。刑吏の娘との結婚は、刑吏になる事を意味します。
アディには、それも、考えられないことでした。

一方。イシュアは、不屈の精神力で、死と向かい合いながら、
地下牢の土壁を掘り、なんとか脱出に成功します。
そして。父と兄が、ホムンクルスであるから…と、自らを囮に使った事を悟り
兄への復讐のために、生きる事になるのです。
復讐のため、勉学に励み、兄に味方すると見せかけ、したくもない金儲けを手伝い、来るべき日のために、力を蓄えていくのです。

たった1度だけ。アディは、刑吏の娘、ユーディトと結ばれます。
夢のような、現実ではなかったような一夜。
その契りを支えに、刑吏に市民権を与えられる人物になる事をめざし
アディは、戦いに明け暮れるのでした。
こんなふうに書くと、わたしが、アディのした事を称えているように
思われそうですが、そうではないのです。
一夜限りの夢を胸に、修道院に入ったユーディトの決意を鈍らせる事を、
アディはしてしまうのです。
必ず、刑吏に市民権を与えられるようにする。だから、神の花嫁になるな
その言葉に、ユーディトは修道院を出て、結局は、娼婦になるのですから。

アディは、戦乱の世を生き抜くため、目標を持ち、愛した人に約束をしました。
結婚もしませんでした。
でも。その約束のために、ユーディトは娼婦に身を落とすのです。
戦争で親を失った子どもたちと、自らの命をつなぐために。

無抵抗の罪人を拷問にかけ、処刑もする刑吏が忌み嫌われるのに
残虐の限りを尽くす傭兵は「名誉なき者」に落とされる事はない。
このあたりが、わたしには理解ができないところでした。
誰かが担わなければならない職業です。でも、進んではしたくない。
それに。人と言うのは、自分より下に他の誰かを置かずにはいられない
そんな悲しい生き物なのですよね。

兄を自分と同じ目にあわせてやる。イシュアの野望は叶います。
その後も、アディの所属するフロリアンの部隊に、いろいろ便宜を図り、
支援を続けます。
フロリアン兄弟が、敗戦の責任を負わされ処刑された時にも
連帯責任を取らされそうになった、アディを救ったのは、イシュアでした。
プラハまでの短い旅。あの短い時間が、イシュアにとっての至福の時だった?
彼の死後、アディは、そう振り返るのです。
アディには、心酔した上官であり、恩人のフロリアンがいたし、
愛した女性もいましたが、イシュアには、アディしかいなかった。
アディにとっても、心をゆるせる、たった一人の友だったのだと思います。

プラハの街を護ることを依頼されたアディは、交換条件として
刑吏の市民権を要求し、それを勝ち得ます。
ここで。悲しかったのが、その時のアディは、もうユーディトと結ばれる情熱も
愛も持ってはいなかったことです。
では。何のために、市民権を得ようとしたの?
「名誉なき者」でなくなったユーディトは、アディからの祝福のキスを拒否します
すごくせつなくなりました。
自分の体が汚れきっていたからか…アディの目に愛を見なかったからなのか…

戦争は終わりました。
アディは、その後も、フロリアンの遺児の後ろ盾、参謀として生きていきます。
まっすぐなアディの生き様は、はじめ、とても眩しかったのですが
刑吏の市民権獲得の夢が、彼にとっての弾除け鎧だったんだなぁ~と思い至り
やるせない気持ちになりました。

修道女として生きる事と、娼婦として生きる事。どちらが良かったのか。。。
わたしには判断することはできません。
ユーディトにとっても、アディとの約束が、生き地獄を生き抜いた希望の光だった
そう思いたい。それだけですね

聖餐城と青銅の首が何だったのか考える読み方や、
ドイツ30年戦争の悲惨さを追いかける読み方もできます。
アディとイシュアが、誰かさんと誰かさんに重なってしまってしょうがなかったけど、夢中で読みました。立ち上がって、拍手したい。
そのくらい力のある作品でした。

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