光は闇の中に・・・さいはての島へ(とあえて書く)

恋に落ちる瞬間を見に行こうと思ったのに、
なぜか・・・さいはての島を旅する事になってしまいました。
「ゲド戦記」この壮大かつ繊細なファンタジー世界を、
無謀にも(すいません)映画化しようとするなんて。
自由であるファンタジーの世界を、映像という小さな枠に嵌める事に
かなりの違和感があったのでした。

てるひが「ゲド戦記」Ⅰ~Ⅲと出会ったのは学生の頃でした。
訳者である、清水真砂子氏の授業を受けるという幸運に恵まれ
この物語も紹介されたのです。
ル=グウィンは、物語に登場するすべての道や花にも名前をつける。
物語世界を構築する、特にファンタジー作品の場合にはなおさらですが
登場人物やものに名前をつけた瞬間から、物語の方向性も見えてくる。

映画「ゲド戦記」は、魔法使いとしてのゲドが、自らの影と戦い
大賢人と呼ばれる魔法使いに成長していく過程ではなく
第三巻、世界の均衡が乱れだした「さいはての島へ」を映像化しています。
ゲドとは誰か、魔法、人と竜のこと、影そして、真の名前。
原作を読んでなくても、すんなりゲド戦記の世界に入れるよう映画化できたか?
これは。かなり疑問でした。

だって。ハイタカって誰よ?って思いませんでしたか?
ゲドなんて出てこないじゃん・・・とか(笑)

世界の均衡がくずれ始め、光の力が弱まってきて。
家畜が大量に死に、その死が人にも影響を及ぼし始めました。
その対策に追われる偉大なる王の息子・アレンが、物語の主人公です。
アレンは自らの影に怯え、父王を刺し、王宮から逃げ出します。
荒野で、狼に狙われたところをハイタカに助けられ、旅の道連れになるのです。
ふたりが向かったのは。
そこでは、人狩りが横行し、奴隷として売り買いをされていました。

アレンは、顔にやけどのある少女・テルーと出会います。
狩られそうになっていたテルーを、アレンが助けるのですが
その後、アレンは返り討ちにあい、連れ去られてしまいます。
ま。ハイタカに助けられるんですけどね。

ハイタカは、古い知り合いの女性テナーのところに、アレンと身をよせます。
彼女のもとには、あのテルーが、ともに暮らしていました。
出会った瞬間、ハイタカは、テルーの真の姿を見抜きます。
テルーの顔のやけどは、親によって捨てられた時につけられたもの
テナーによって助けられ、生かされた命。
命の大切さを誰よりも知っているテルーには、死など恐くないと
命を粗末にしたがるアレンが許せませんでした。

人狩りの連中は、悪の魔法使いクモに飼われている者たちでした。
クモはかつて、ハイタカとの戦いに敗れ、冥土へ行きかけ
それゆえに、不老不死にこだわり続ける魔法使いです。
ハイタカがこの街にいる事を知って、テナーを拉致し、
自分の城へハイタカをおびき寄せる事に。

アレンの心は、死への恐怖や生きる不安でいっぱいでした。
光はアレンの心から追い出され、影と成り果て、アレンを付狙うようになりました。
光は闇の中にある。生は死の中にある。
死を恐れるのは、生きる事を恐がってること。
アレンの影は、元々はアレンの光だった部分。アレンの一部ですよね。
分離したままで良いわけはなく、ひとつにならなければ、
やがて本体は、影に取って代わられてしまう。

ファンタジー世界では、この人格の分離を影としてよく扱いますよね。
ドッベルゲンガー。もうひとりの自分と出会った人は、何日か後に死ぬとも言われ
アレンも、やつ(影)の存在に怯えていました。

テナーがクモの手下にさらうわれます。アレンもクモの手に。
クモの巣に向かうハイタカ。テルーもアレンの剣を持って、後を追います。
道の分かれ道で、アレンに出会いました。ついてこいというアレン。
でも。これは影。アレンから分離したアレンの一部。
影も、ほんとうは、アレンに戻る事を欲しているのか・・・
テルーに、アレンの真の名前を伝えます。

クモにだまされて、あやしげな飲み物を飲まされたアレンは
真の名前を教えてしまいます。
この世界に住む人は、本当に心を許した相手にしか、真の名は告げません。
魔法使いは、たとえば、自分とは違うものに変化する魔法を使っている時に
真の名を呼ばれてしまうと、自分自身に戻ってしまう
それは、己の敗北を意味し、死を招きかねない危険な事なのです。
真の名を呼ばれることは、服従する事でもある。

クモのテリトリーである城の中で、ハイタカは魔法の力を奪われ、
へなちょこな手下たちに捕らえれ、テナーのいる地下牢に囚われてしまいます。
「自分は行けない」という影と別れ、テルーは単身、城に潜入。
アレンの居所を探し当てます。
必死に、ハイタカとテナーの危機を訴えるテルーでしたが、
クモに服従を余儀なくされていたアレンの目はうつろでした。

「レバンネン」
テルーは、アレン真の名を呼び、自身の真の名も告げます。
「テハヌー」
このシーンは、ドキドキしました。
アレンとテルーが駆けつけた時、ハイタカは処刑される寸前でした。
ハイタカにはわかっていました。アレンが来る事が。

決して抜けなかったアレンの剣でしたが、この瞬間、
彼の右手におさまり、クモの魔法を一刀両断にします。
魔法で鍛え上げられた剣は、死の淵に瀕していたクモの正体を明らかにし
追いつめていきます。
テルーをさらい、城の高みに上ったクモの負けは、明らかでした。
だってね。テルーは・・・
そして。あのポスターにもなっているシーン。

古代。人と竜は同じものでした。
物と安定を選んだ人は、陸と海に、自由を選んだ竜は火と風を選び、空に
それぞれ別れて住むようになったのです。
選べれるなら、てるひも、火と風と自由を選びたいけれど。

映画は映画としては、これで良かったと思います。
原作の事を持ち出したら、それこそ言いたい事は山のようにあります。
たとえば、色も風も描ききれてない。街角の風景も。
なにより、アレンに魅力というか、なにかを感じられなかった事。
アレンの影が、予想に反し、生易しい存在であった事などなど。
難しい役だったと思うけど、岡田くんとアレンは重なってなかったな。

てるひが「ゲド戦記」Ⅲを読んだのは、それこそずいぶん前の事ですので
忘れてる部分も多く、映画を映画として楽しむ事ができました。
アレンとテルーの・・・レバンネンとテハヌーの続編を作る事も可能ですしね。
今、わが家にはⅣとⅤしかないけど、Ⅰから読み直してみようかな。

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