|
中学1年の頃だったと思う。 近所に住む、ひとつ年下の女の子が、白血病におかされた。 小学生の時に、山口百恵さんの「赤い疑惑」を見ていたので その病気の名前は知っていた。 当時。骨髄バンクはもちろんなく、治療法もなく、不治の病と言われていた。 赤い疑惑。遠い世界の「不治の病」と、愛した人が腹違いの兄という、 悲劇の上に悲劇がつもる・・・純粋な愛と闘病のドラマに魅了された。 コバルト文庫を読み、高校生、大学生の純愛に憧れた小学生だった。 ひとつ年下の、その女の子の名前は、忘れてしまった。 彼女を見舞った友だちだったか、先生だったのかも忘れてしまったが 「透き通るように色が白くて、雪の結晶のようだった」 そう言っていたのが、今でも、心に張り付いている。 ドラマと小説の世界にしかない病気だったはずの「白血病」が、 すぐ近くにある事に、恐怖した。 夏目雅子という美しい人も、白血病にたおれた。 物語を書く勉強をはじめた時に、あの少女の話を、 いつか、どんな形になるかはわからないけれど、書きたいと思った。 そんな時だったと思う。骨髄バンクができた。 あれは。24時間テレビだったのかな・・・登録の呼びかけをしていた。 そうだ。ドナーとなって、骨髄を提供する事ができたら、 あのコの気持ちにも近づけるかもしれない。 わたしは。そんな不純な気持ちから、登録する事にした。 献血するよりも少ない血液を採取され、あっという間に登録ができた。 しばらくして。二次検査に来てください・・・というハガキが届いた。 HLAの型が一致する可能性がある患者さんがいる。 そんな内容の事が書かれていたと思う。 でも。わたしは行かなかった。そんな弱い人間なんですよ。 患者さんの存在が見えた時に、びびってしまって 二次検査になかなか行けなかったのだ。 ほんとうはドナーになる資格はないのかもしれない。 2度めのハガキが届いて、やっと重い腰をあげた。 それでも。今、登録を迷っている人がいたら、 こんな弱く、志の欠片もないわたしでも登録ができたんだよ・・・と言いたい。 ほんとうに気軽にしてしまった登録。 もちろん、誰にも相談も、話しすらしなかった。 二次検査の後。水色の封筒が届くまで、5年の月日が流れた。 封筒には、最終のドナー候補者のひとりに選ばれているという内容の手紙と 提供の意思確認と体調を問うアンケートが入っていた。 うれしいと思った。やっと提供できる(まだ候補者なだけ) 相方と母に話をして、理解してもらう…という大きな仕事もあった。 母は泣いた。 相方は「とめても、やるんだろう」と言った。 積極的には賛成はしない。でも、意思を尊重する・・・と。 相方と母と話しをする事で、残っていた迷いをふっきれた気がする。 意思表示をすると。しばらくして、コーディネーターさんからお電話があった。 少し年上の女性のようだった。 いろいろな話をして、検査日の調整をしていただいた。 検査の日は、たくさんの血を取られたなぁ。。。 先生から、移植について、全身麻酔のことについての説明を受けた。 しばらくして。コーディネート終了の連絡が入った。 遺伝子レベルでは、型が一致していなかったから・・・だそうです。 力がぬけた。 いつの間にか・・・自分が移植をするものだと決めつけていたし 入院時のパジャマはピンクにしよう・・・と思ったりしていた。 その後。もう1ど、水色の封筒が届いた。 今回こそ!・・・と思って、アンケートを提出した 少しして。お願いしないという内容の返事がきた。理由は書かれていなかった。 わたしよりも適任の候補者が見つかったか 病気が回復に向かって、移植が必要なくなったのだろう そう信じている。 提供が決まって、ゴーとなれば。 近親者の不幸があったとしても、中止をする事はできません。 でも。水色の封筒がきたら、わたしは、健康である限り、手をあげると思う。 骨髄バンクへの登録によって。自分の心が、ほんの少しだけれど強くなった。 そんな気がする。 |
| << 前記事(2005/12/22) | トップへ | 後記事(2005/12/23)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
いいお話を聞かせてもらいました。 |
み〜な 2005/12/23 16:16 |
きっかけは重要ではありません。 |
wild-child URL 2005/12/23 23:13 |
み〜なさん、いらっしゃいませ。 |
てるひ 2005/12/24 16:15 |
wild-childさん、こんにちは。 |
てるひ 2005/12/24 16:30 |
| << 前記事(2005/12/22) | トップへ | 後記事(2005/12/23)>> |